ハトにエサやり

ハトにエサやり   している人   いる

 

 

何も帰ってくるわけではないのに

 

 

パンを分け与える

 

 

 

 

幸せを共にしたいし

 

もらう より 与える 喜びが大きい こと 象徴してる

 

 

 

これは  人間   永遠 に  変わらない精神だと

 

 

 

感じるなぁ

 

 

 

人同士で分け与えられたら  

そんな社会  幸せだよなぁ

 

 

市場経済の限界

 

 

現状    そこに究極の幸せはないと感じるなぁ

 

 

 

 

市場経済の中で少しずつ   自分の範囲内で

出来ることを    構想して    実践していこう

何が大切か。

時間の浪費、とは何だろう。

 

よく、今日  この時   この瞬間  は  今  しかない

というけれども何が私たちの心の歓喜であり尊い

ことなのか。何をすべきなのか。

 

人間として共に考える時間になっていたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たち  愉しく  過ごす  他  これより良いことは

ありませんよね。ある古典にもこんなことが書いておりますが。

 

人からくる喜びって多いと思いませんか。

 

なんやかんや人といつも共に過ごしてますよね。

 

例えば今使っているスマホも人が作ったものだし

家も人が作ったものだし、屋根があるならそれも人が作ったものだし水飲めてるならそれも人が作ったものだし  私たち限りなく皆んなで生きてますね。

 

人工物に囲まれて生きている以上、そこに人がいますよね。愛かどうか分かりませんが他の人がいるから自分がいる現状を否定は出来ません。

今でこそ個人主義的になり過ぎて、喋ること自体が不自然に感じる場面さえ多々ありますが。

 

 

 

 

やはり隣にいる人と楽しく過ごすのが人生なのかなぁと。それが不可能ならナゼそう思うのか。ナゼ出来ないのか深掘りしていく必要があると思います。

そしてそのキョリが近すぎてもダメだと思います。

ナゼ。  偏りがあるから。

 

人は支え合っていきるから『人』といいますが、

これ    一人いなくなったら倒れますよね。笑

 

そういう状態であっては ならない と思います。

 

ではどのようにして人が 1人で  ピッと立つのか。

 

言葉でしか考えられない私たち。

それでさえ私たちに最初から備わっていたか。

否ですよね。

 

何だと思いますか?どんなものだと思いますか?

 

これを分からなければ自分も相手も永く幸せに出来ません。

 

いつの間にか生まれどこに向かっているのか。

私たちが『在る』とは何か。

 

 

この半年間で生き方が変わりました。

いつの間にか6ヶ月。この場所に向き合います。

 

私は、ある事柄があり生き方が変わりました。

 

自分自身が変わるってスゴいことだと思います。

 

 

 

本当に大切なものが見えていなかったんだなぁ。

 

盲目状態で生きていたなぁ。

 

と、ザックリ思います。

人間として諦めないで探し続けるべきだと思います。門を叩きまくるべきだと思います。

 

 

 

 

 

さて、 私  大学生です。

 

授業  つまらないです。

 

なぜ。

 

 

僕は思います。

 

笑いが足りない。

笑い 即ち ふざけている

と 捉えがちな人が多い気がします。

 

笑いって生きていく上で呼吸の如く必要だと思います。会社のプレゼンテーションでも普段のコミュニケーションでも利他的な笑いがあまりにも少ない気がします。

 

気持ちのいい笑いは愛の表現として私たち人間に備えられたものだと思います。使わないで何をしろというのでしょうか。

 

 

目の前の人を全力で愛して欲しい。