生きる

愛で全てを包み込む

 

それでしか何も前進しない

 

 

犠牲が伴う歴史だ

 

 

苦労が伴う歴史だ

 

 そのぶん最後は良いのかな

 

そう思うことでしか 答えを見出すことでしか解決されない

 

 

このままじゃダメだ

 

大変だけど

変化を恐れるな

挑み続けろ

逃げるな

自己責任を果たすしかない歴史だ

 

そうすることでしか喜びが来ない歴史だ

 

最初で最後の最高の歴史だ

20170720

 

    私のするべきことは大学生が故に学びの機会を頂いているのでインプットとアウトプットを繰り返して知識を共有する力、瞬間に働きかけられる力の濃厚さを濃厚にしていくこと、様々なことをひたすら言語化することでこの時代に生きている自分という存在を相対的に、そして長期的普遍的に的確に表現することがこの日本『社会』で求められている、よりよく共存していく最良の自己実現なのかな。

 

   既存の概念をなぞるだけだったら時間さえあれば誰でも出来る。唯一性と自己実現フルマックスでするならゼロからイチを生み出す労苦が伴うね。

 

   心臓の鼓動を手の感触で感じると止まってられねえ。私たちは今日も死に一歩近づいているから。

 

  共にこの時代を生きる者よ  ガンバロウネ!!!

みんなヒトツになりたい

 

ひと

 

色んなことがある

 

色んな葛藤がある

 

けれど

 

みんなヒトツになりたい

 

 

みんなヒトツになる

 

 

最終的にはそういう歴史であって欲しいよね。

 

 

そうだよ。

ハトにエサやり

ハトにエサやり   している人   いる

 

 

何も帰ってくるわけではないのに

 

 

パンを分け与える

 

 

 

 

幸せを共にしたいし

 

もらう より 与える 喜びが大きい こと 象徴してる

 

 

 

これは  人間   永遠 に  変わらない精神だと

 

 

 

感じるなぁ

 

 

 

人同士で分け与えられたら  

そんな社会  幸せだよなぁ

 

 

市場経済の限界

 

 

現状    そこに究極の幸せはないと感じるなぁ

 

 

 

 

市場経済の中で少しずつ   自分の範囲内で

出来ることを    構想して    実践していこう

何が大切か。

時間の浪費、とは何だろう。

 

よく、今日  この時   この瞬間  は  今  しかない

というけれども何が私たちの心の歓喜であり尊い

ことなのか。何をすべきなのか。

 

人間として共に考える時間になっていたら嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たち  愉しく  過ごす  他  これより良いことは

ありませんよね。ある古典にもこんなことが書いておりますが。

 

人からくる喜びって多いと思いませんか。

 

なんやかんや人といつも共に過ごしてますよね。

 

例えば今使っているスマホも人が作ったものだし

家も人が作ったものだし、屋根があるならそれも人が作ったものだし水飲めてるならそれも人が作ったものだし  私たち限りなく皆んなで生きてますね。

 

人工物に囲まれて生きている以上、そこに人がいますよね。愛かどうか分かりませんが他の人がいるから自分がいる現状を否定は出来ません。

今でこそ個人主義的になり過ぎて、喋ること自体が不自然に感じる場面さえ多々ありますが。

 

 

 

 

やはり隣にいる人と楽しく過ごすのが人生なのかなぁと。それが不可能ならナゼそう思うのか。ナゼ出来ないのか深掘りしていく必要があると思います。

そしてそのキョリが近すぎてもダメだと思います。

ナゼ。  偏りがあるから。

 

人は支え合っていきるから『人』といいますが、

これ    一人いなくなったら倒れますよね。笑

 

そういう状態であっては ならない と思います。

 

ではどのようにして人が 1人で  ピッと立つのか。

 

言葉でしか考えられない私たち。

それでさえ私たちに最初から備わっていたか。

否ですよね。

 

何だと思いますか?どんなものだと思いますか?

 

これを分からなければ自分も相手も永く幸せに出来ません。

 

いつの間にか生まれどこに向かっているのか。

私たちが『在る』とは何か。